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【寂しさ・孤独感の解消方法】不安を克服する必要はありません。

本記事では、『寂しさ・孤独感の解消方法』について“かなり詳しく”お伝えいたします。

すべてを読み終え、理解が深まった頃には、今のあなたが抱えている寂しさや孤独感は小さくなっていることでしょう。

BPL Woman Editor

こんにちは、BPLaboです。

いきなりですが、質問させて下さい。

「あなたは“ひとりぼっち”が苦手ですか?平気ですか?」

一人が嫌い

ひとりぼっちが苦手と答えた人の中には「一人でいると周りから寂しい女と思われてしまうのではないか」と考えてしまう人もいれば、「チョット変わった人と思われてしまうのではないか」と心配する人もいます。

自分の存在意義を見失ってしまう人や、生きる気力が著しく低下してしまう人もいるかもしれません。あるいは、単純に一人の時間の使い方がわからないという人もいるでしょう。

一人が好き

一方、ひとりぼっちでも平気と答えた人は「一人の時間が好き、落ち着く、大切」と考え、一人でいることに必要性やメリットを感じている人が多いようです。

もちろん周囲の目を気にしない性分の人もいるのでしょう。あるいは、そもそも「一人でいる=寂しい」などと結びつけて考えたことがないという人もいるかもしれません。

“一人でいる”という現象の認知に違いがある

いずれにしても、“一人でいる”という現象の認知(捉え方)には個々人で違いがあることがわかります。

あなたの感情には肯定的な役割がある

私たち人間には喜怒哀楽をはじめとする様々な感情が備わっていますが、それらの感情には肯定的な役割があります。

あなたの身を守る働きも

例えば、車道を歩けば危険を感じ、ビルの屋上から下を覗けば恐怖を感じます。その感情のおかげで車との接触事故や落下を未然に防ぐことができるのです。

オーブンから熱々のグラタンを取り出そうとする時に素手ではなく鍋つかみを使って取り出すことでヤケドを防ぐことができるのも、事前に危険や恐怖を知らせてくれる感情のおかげです。

いずれにしても、これらの場合は、感情に『あなたの身を守るために何かを知らせる』という肯定的な役割があることは間違いありません。

寂しさや孤独感の肯定的役割

では、さみしさや孤独感という感情にはどんな肯定的役割があるのでしょうか?(あなたに何を知らせてくれているのでしょう?)

それはずばり、あなたが幸せに生きるために必要な行動を促すエネルギーとしての役割、つながりを実感するために必要なアクションをあなたに起こさせる役割があるのです。

さみしさは物理的に一人でいるから生まれる感情ではない

私たち人間は、大勢の人たちと過ごしていても、「自分の気持ちが理解されない、心が通じ合っていない」と感じるとさみしさや孤独を感じることがあります。

大勢の中の孤独

グループの輪に入っていても、自分だけが浮いているように感じたり、話についていけなかったり、笑いのツボが皆と違っていたり、価値観が合わなかったり、「私はそう思わない!」「違う!」とは言えず相手に合わせてばかりでうまくなじめないでいると、大勢の中にいるのにさみしさや孤独を感じるのです。

協調性のある「いい人」ほど苦しいもの。どんなに大勢の人たちと一緒にいても『ありのままの自分が受け入れられているという感覚が持てないと孤独を味わう』ことになります。

寂しさや孤独感は、精神的な“つながり”に起因する

一方、「お互いのことを知り尽くしている気の合う親友」や「自分の弱みやコンプレックスを隠さずに見せられる恋人」などと一緒にいる時は孤独感や寂しさを感じにくいものです。

なぜなら、深い理解や信頼で成り立つ人間関係には『ありのままの自分を受け入れてもらえるという安心感がある』からです。

ありのままの自分が受け入れられているという感覚は、その相手と精神的な“つながり”を実感できていることを意味します。

“つながり”の対象は人に限定されない

“つながり”は対象が人に限定されるものでもありません。物や自然とのつながりも含みます。

畑の大根や人参を見た時に「大地の恵みによって自分は生かされているんだなあ、育ててくれた農家の人たちのおかげだなあ、ありがたいなあ」と感謝できれば、対象が人でなくても“つながり”を実感できるのではないでしょうか。

さみしいという感情が生まれるのは、その人が物理的に一人でいるか・いないかに左右されるものではなく、自分が他との“つながり”を十分に感じられていないことに起因するものなのです。

“つながり”を感じる力を高める「自己受容」

さみしさや孤独を感じにくい人は、他との“つながり”をより深く感じやすい傾向があります。

他とのつながりを実感できる人間になるためには、まず「足るを知る」ことから始めなければなりません。

自己受容とは

足るを知るために有効な手段となるのが自己受容という考え方です。

自己受容とは、“ありのままの自分を評価せずに受け入れる”ことです。

自己評価との違い

さみしさが込み上げてくると、「人生がつまらない」「何のために生きているのかわからない」などと自分自身の存在や人生そのものに価値を見出せなくなってしまう人も多いと思います。

しかし、それはさみしさを感じている自分を悪く評価していることに他なりません。

私たちが自分自身を評価する時はたいてい他者と比べています。

「Aさんと比べて自分の人生はつまらない」「Bさんのように生きる目的がはっきりしていない」というように自己評価の裏側には常に誰かがいるものです。

誰かと比べて自分を卑下するのは評価であって受容とは正反対の考え方であることを覚えておいて下さい。

ここまでで自己受容と自己評価の違いはおわかり頂けたかと思いますが、中には自己肯定と混同されてしまう方もいるようですので解説を加えておきたいと思います。

「自己受容」と「自己肯定」の違い

自己肯定は「ダメな自分の中にも美点はあるはずと信じて必死で探そうとし“本当はもっと優れた人間なんだ!”と自分に暗示をかけること」であり、自己受容は『ダメに思える自分も含めて自分であるとありのままをそのまま受け入れること』であると思って頂ければいいでしょう。

自己受容には自分の美点を探すという概念がありません。自分の美点を探すという時点で、自分をマイナス評価していることに他ならないからです。

「私はさみしいと感じている、今はそういう心の状態にある」と、その時の自分の心の状態をそのまま素直に受け入れるのが自己受容です。

自己受容を意識するとかえって不足感が強まる場合は

中には、自己受容を意識するとかえって自分のダメなところや欠けているところばかりに目が向き、より不足感が強まってしまう人もいるでしょう。

そんな時は改めて「足るを知る」という考えに立ち返って下さい。

私たちの誰もが自分という存在を捨てることも、交換することもできません。

父親も母親も、育ってきた環境も、過去の様々な体験もすべて、もう一度自分の意志で選び変えることなど不可能です。まずはその真実を受け入れることから始めましょう。

すると、自分に与えられていないものを考えて嘆くことが“いかに非生産的であるか”ということに気づくはずです。

今の自分をすでに与えられた状態と捉え、これからどう生きていくかを考えることが大切なのではないでしょうか。

得ることで寂しさや孤独感を埋めようとしてはいけない

つまり、何かを得ることでさみしさや孤独感を埋めようとしてはいけないということです。

私たちが何かを得ようとする時は、往々にして不足感を意識しているものです。自分が価値の無い人間に思え、巨大なさみしさに襲われてしまうこともあるでしょう。

さみしさとは自分の価値が無くなってしまうのではないかという怖れが生み出す幻影でもあります。実際に価値がない人間など存在しません。

もし存在するとしたら、それは自分を価値のない人間であると思い込んでいるだけなのです。

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“つながり”を感じる力を高めるもう一つのカギ

自分の無意識が反応していることも

ひとりぼっちの人を見ると「かわいそう」「さみしそう」などと同情心や哀れみの感情を抱く人がいますが、その場合は『その人自身(同情心や哀れみの感情を抱いた人自身)がさみしさや孤独感を抱えている』ことも少なくありません。

なぜなら、実際に「いじめられて孤立したことがある人」や「一人で絶望感を味わったことのある人」などは、ひとりぼっちの人を見ると“自分がさみしかった時の嫌な感情が蘇ってくる”ことがあるからです。

一方、「一人の時間が好きな人」や「一人の時間を貴重で大切なものであると考えている人」などからすると、単独で過ごす人を見てうらやましいと思うことはあっても「かわいそう」「さみしそう」などと思うことはありません。

「目的」を持つと「今」とつながる

目的(目標)がはっきりしているスポーツ選手を例にするとわかりやすいでしょうか。

例えば、異国の地において単身で活躍するプロテニスプレーヤーの錦織圭選手は、「ウィンブルドンで優勝したい! 」「ワールドツアーで優勝したい!」という目的(目標)を持って日々のトレーニングに懸命に取り組んでいます。

強烈な目的意識を持っている彼が、トレーニング中に「一人でトレーニングをしていると友達がいない寂しいヤツだと思われやしないか」などと考えることはありません。目的(目標)に向かって今を精一杯生きているため、余計な雑念が入り込む余地がないからです。

強烈な「目的(目標)」を持つと「今」とつながり、さみしさや孤独感は跡形もなく消えてしまうのです。

“つながり”を実感することに、友達の人数やフォロワー数は関係ない

少し話を戻しますが、私は「さみしさや孤独感とサヨナラするには、他との“つながり”を感じることである」とお伝えしてきました。

人間は生来、ありのままの自分が何かと深くつながっていると感じた時に“心の平安”を手に入れ、同時に自分らしく生きられる(自分が本来持ち合わせている力を存分に発揮することができる)生き物です。

本物の“つながり”とは

“つながり”とは、Facebookの友達の数やTwitterのフォロワー数など、目に見えるつながりのことだけではありません。

特に本記事でお伝えしている“つながり”は『目には見えない、もっと内面的なつながり』のことです。

例えば、「Facebookで友だちになったリアルではつながっていない1000人」よりも『たった一人の大親友』とつながっているほうが孤独感やさみしさを感じにくくなります。

なぜなら、あなたが本当に困った時、遠方からすっ飛んで来てくれるのはリアルな大親友のほうだからです。

“つながり”は、ありふれた日常の中に

先ほどの錦織圭選手の例を聞いてもピンと来ない人もいるでしょう。「トップアスリートはそもそも一般人とは違う。私たちと一緒にされても困る」と、どこか自分事として受け入れられなかった人もいるかもしれません。

しかし、それは違います。

目的(目標)の大きさは関係ありません。ありふれた日常の中で、人は誰もが『誰かと、何かと、深いつながりを感じることができる』んですよ。

次に、ありふれた日常の中で「今」と深くつながる方法をお伝えします!

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