3. どんな時も「愛のある道」を選んで進む。
そして3つ目は、「どんな時も愛のある道を選択する」ことです。
例えば、相手があなたのカンに障る行動をしたとしましょう。
服を脱ぎっぱなしにしていたとか、ここに物を置かないでと何度も注意してきたのに今日も置いてるとか。相手の行動にイラッとした時にこそ「愛のある道はどっちだろう?」と考えてみるのです。
愛があるなら相手を許せるはずだ、愛があったら相手に怒りをぶつける方法は選ばないはずだ、そんなふうに「愛のある道」を選んで進むのです。そして、極めて大事になってくるのは『どんな時も』という部分。
あなたがどんなに疲れていても、ちょうどイヤなことがあってイライラしている時だったとしても、いつでも「愛のある道」を選んで進めるかどうか。ココが鍵なのだと私は思います。
例えば、面白いテレビに夢中になっている時に相手から「お醤油取ってくれる?」と頼まれた時、ササッと喜んで取ってあげることが出来るか。面倒くさそうにイヤイヤ取ってあげたり、「自分で取ってよ」とか突っぱねるようなことは言わないことです。身近な一つ一つのことに対して「愛のある道を選ぶのか?選ばないのか?」という選択肢が必ずあると思っておくといいでしょう。
それでも、ついつい「どうしてやってくれないの?」「どうしていつもそうなの?」「それぐらいやってよ!」などと相手への要求の方が先に立ってしまう人は、ここで改めて次のように決心してみて下さい。
私は与える側の人間でいよう!
つい相手への要求が先に立ってしまうのは、相手から愛をもらおう(得よう)としてばかりで、自分から愛を与えようとはしていないという証拠でもあります。
あなたが与える側の人間でいようと決めたなら、相手があなたの与えたもの(愛情)に対して、同じように返してくれようと返してくれまいと、あなたの心は平安でいられるものなのです。
それでも「そんなの無理!」と思ってしまう人は、やっぱり心のどこかで「負けてる!」と思っているからなのでしょう。
勝ち負けの世界に愛はありません。
ここまでの内容を腹の底に落とし込めた時は、「自分が与えられるものは何か?」という事に関心があっても、「相手が何を与えてくれるか?」という事には興味を失っているはず。
極論かもしれませんが、恋愛のパートナーシップも、仕事や家庭の人間関係においても、次の2つの方向性しかありません。
「勝ち負けの中で築こうとする」のか「愛の中で築こうとする」のか。
そして、どちらを選ぶのかは、あなた次第だということです。