大森篤志からの回答内容
まずは、現実がうまくいかない事と深く関係している『認知の歪み』についてお話させて下さい。
現実がうまくいかないのは、ヒデコさんの頑張りが足りないからではないかもしれません。
ヒデコさんに限らず、私を含め大多数の人間は『認知の歪み』によって現実がうまくいかないのです。
例えば、『認知の歪み』には一般的に次のような特徴があります。(参考:「アーロン・ベックの理論」)
- 選択的抽出:
出来事には良い悪いの両面があるのにも関わらず、悪い面だけを取り上げて考えてしまう事 - 恣意的推論:
証拠がないのに「そうに違いない」と悲観的に決めつけたり、正反対の証拠があるのに「違う」と否定的に結論づけてしまう事 - 過度の一般化:
出来事の一部分だけを切り取って、それが全てであると結論づけてしまう事(一度の失敗だけで自分をダメ人間であると決めつける 等) - 拡大解釈や過小評価:
些細な失敗を取り返しのつかない事態と捉えたり、成功しても全然ダメな状態であると考えてしまう事(出来ていることに目が向かない 等) - 自己関連づけ:
僅かな情報を悲観的な情報として自分に関連づけて考えてしまう事(目が合わなかったのは嫌われているからだ 等) - 分極化思考:
0か100か、白か黒かなどと両極端に考えてしまう事(小さなミスをしただけで「もう終わりだ」と考え、ひどく落ち込む 等)
例えば、楽しみにしていた仲良し3人組での旅行の前日にヒデコさんが怪我で行けなくなってしまったとしましょう。
その出来事をヒデコさんが「どうして私だけ…」「いつも私だけが損をするのは何故?」と非論理的に認知(=捉えて)しまえば、その結果「怒り、イライラ、悲しみ」などのネガティブな感情がフツフツと湧き出し、最終的にはヒデコさん自らの意志で『私はツイていない人間』と現実を歪めて認識してしまいます。
現実を歪めて認識してしまうとネガティブな感情に支配されてしまうのが人間。
その後、せっかくお土産を持って御見舞いに来てくれた友人たちの前で「旅行の楽しい話なんて聞きたくないから」などとトゲのある発言をして友人たちに変な気を使わせてしまいます。
「いや、そんなに楽しくなかったよ…。ヒデコは行かなくて正解だったかもよ…」などと言わせてしまうこともあるかもしれませんよね。結果として、3人の絆に亀裂が生じてしまうことにもなりかねません。
そして、3人誰にとっても「あまり楽しくなかった旅行の思い出」という歪んだ情報が現実として残るのです。
一方、ヒデコさんが「怪我をしたのが私だけで良かった」「二人には私の分まで楽しんできて欲しい」と考えることが出来れば、その結果「早く治そう」「次こそは私も」などのポジティブな感情が自然と湧き出てくるもの。
友人がお土産を持ってきてくれれば「私の分もちゃんと楽しんできてくれた?旅行の話聞かせてね!」と笑顔で対応することが可能になります。
そんなヒデコさんの様子を見た友人たちは「次はヒデコも一緒に行こうね!3人ならもっと楽しいと思うし」などと嬉しい言葉をヒデコさんにかけ、ヒデコさんはしみじみと友人たちの心遣いに感謝し幸せを感じる。結果として、3人の絆がさらに深まることになるわけです。
認知によって、現実がこうも大きく変わってしまうことを認識することがスタートラインです。
そして最も大切なのは、出来事をどう捉えて意味づけするかであると私は思います。
「恋愛に自信がない」のはなぜか?
ヒデコさんが「恋愛に自信がない」と言うのは何故なのでしょうか。あらためて考えてみて下さい。
自分の容姿を好きになれないからでしょうか。あるいは、全く別の理由があったり、複合的な理由が組み合わさっている場合もあるのかもしれません。
しかし、それらの理由は本当に正しい認知と言えるのでしょうか。
もし、それが「決めつけ」や「思い込み」という『認知の歪み』だったとしたら、現実がうまくいかないのも無理はありません。
自分と似たような境遇の人間は誰もが幸せじゃないのかと問われたら、決してそんなことはないはずです。
認知を歪めさえしなければ、ヒデコさんは今よりもずっと幸せになれると私は確信しています。